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西部邁の"尊厳死"から生き方を考える_書評「死ぬ作法 死ぬ技術」


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20代で政治をかじった"意識高い系"の方々は、小林よしのり氏の漫画で初めて知ったであろうと思います。(まさに私の事ですが)

 

https://i.ytimg.com/vi/50yJFrkEZ6s/maxresdefault.jpg

【参照】Tokyo MX「民主主義が生み出すテロ」西部邁ゼミナール (2016年1月17日放送)より

 

 

去る1月21日、評論家の西部邁(にしべ すすむ) 氏が逝去されました。

「精神的な衰えを感じたら、病院で最期を迎えることなく"自裁死"を選ぶ」

と明言していた西部氏。

その決断からどんなことを感じ得る事ができるのでしょうか_。

 

 

(前提) 保守派の評論家・西部邁とは。

西部氏は、昭和後期〜平成の約40年間を象徴する評論家でした。

北海道長万部町に生まれ、札幌南高校を経て東京大学で経済学を修了。

 

学生時代を過ごした「左翼思想」の背景・社会学の方法論を用いた経済学への批判をベースに持論を確立。

朝まで生テレビ」や、論壇誌「表現者」らで保守派論客として名を馳せたのです。

 

 "西部邁氏の膨大な著作は四分野に大別できる。

(1)『ソシオ・エコノミックス』(1975年)で開拓した社会経済学

(2)『知性の構造』(96年)に収斂(しゅうれん)した記号論

(3)大衆社会批判と保守主義

(4)『妻と僕』(2008年)に代表される自伝である。_"

 

【参照】(ひもとく)西部邁氏の仕事 論理的かつ根源的たらんとす 松原隆一郎朝日新聞デジタル

 

 

本書について説明しましょう。

 

なぜ約10年前の、この書籍について取り上げたのか?

この書籍には、沢山のジャーナリストや医学者が筆を取っています。

 

鎌田實(医師)、久坂部羊(小説家)、栗本薫(中島梓の名義、小説家)…

アンケート編では佐藤優(ジャーナリスト)、堤 堯(評論家)といった論客も名を連ねております。

 

10年前の著作とはいえ、人々の死後について触れることは、

「みんな、どんなことを気にかけてしまうのか?」を知ることができます。

 

 

さてこの記事で取り上げる、西部氏は10年前にこのように記していました。

ダイジェストで、面白いなと思った点を書き抜きます…。

 

  僕には 、「生きること」それだけのために生きていくことは、非常にグロテスクに思えた。

たとえば、目の前に焼き鳥がある。人間が自分の生命のために他の生命を食すのは、意味論として納得できない。

それを納得するには、自分がニワトリよりも優れているという確信がなければならない。

 

 根拠として考えうるのは、人間には精神がある。それ故に他の生命を食してもいいだろう、ということ。で、精神とは何ぞやと考えたとき、感情も含めた言葉の能力だと思われます。(中略)

 

 …歳をとって、その能力が失せてくる。つまり精神が衰え、やがて破綻する。そうなると、他の生命を食していい理由が見当たらなくなる。

他の生命を食べられないということは、すなわち「死」です。そのときは己の生命を断つしかない。僕は、そう結論づけた。

P35「精神あっての人間」より

 

 

「自分や周囲を納得させうる "死" 」

 よく「死んでしまったらそれでおしまい、だから放っておけばいい」、

そう語る人たちがいます。でも、それは間違っているんです。

 

人間というのは、未来を想像できる生き物なんですね。僕が死んだとき、誰それは「西部の野郎、死んでくれてよかった」と言うだろうと想像できる。

問題は、そうした想像が現在に影響を与えることです。(中略)

 

_良い物語として終わらせるには、死に方こそが肝要なんです。_

 P36 同上

 

 

生命それじたいは、精神を乗せる道具としてだけ大事なんです。

精神が崩壊してしまえば、生命なんてカルシウム、脂肪、たんぱく質の上に壊れ掛かったコンピュータがついているだけの代物でしかない。

 

あるいは、よく「生命は自分のものだ」と主張する人たちがいる。それで、あるテレビ番組で、僕はこう発言したんです。

「確かに、生命はご自分のものなんですから、その始末もご自分で考えてください」と。

P39 同上

 

 

自分と周囲を納得させうる「死」を、西部氏は行動をもって示した

翻って多くの著作・メディアのなかで西部氏は自分自身の死生観、終わりの迎えかたについて話していました。

 

特に遺作となった「保守の真髄」でもこのように触れていたのです。

 "_病院死を選びたくないと強く感じかつ考えている。おのれの生の最期を他人に命令されたり、弄(いじ)り回されたくないからだ。_

 

 _自分の娘に自分の死にゆく際の身体的な苦しみを、いわんや精神的な苦しみなどは、つまりすでにその顛末を母親*1 において十分にみているのに、それに輪をかけてみせる、というようなことは、できるだけしたくない、

 そんなことをするのは廉恥心に悖(もと)る、と考える方向での生き方をする者がいて、述者はそうした種類の人間なのである_

 

「保守の真髄 老酔狂で語る文明の紊乱」(2017)より

 

 

 

…いかがでしょうか?

尊厳死、自殺(ほう助)という論調いかんにせよ、

西部氏の言葉からは「最期の瞬間まで思いをめぐらせ、自分の意志を通したい」

という言霊を感じるのです。 

 

 

ぼくもそろそろ新しい道に進むことになりそうですが、

常に"死と隣り合わせ"という意識でいようと思います…。

 

あなたは死に対してどんなことを思っていますか?

切に、自分自身の死生観と向き合って欲しいと思い、

この書籍と西部氏の言葉をシェアします。

 

 

*1:2014年、妻が逝去。8年間看てきたうえでの言及