Re-vival from Kochi.

北海道出身の筆者が、祖父のルーツを求めて高知県に戻りました。ブログを書くことを通じて、もう一度生き直します。

“苦しみ”を越えるために、高知県に行く。


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3/24日 木曜日 東京は雨。

北海道と、故郷と、母と、別れを告げてきました。

 

もくじ

 

0.「高知県にバス移住計画(北海道→秋田→東京→高知)」やってます。

 

1.なう。「北海道→秋田→東京(イマココ)」

 

2.僕が抱える”2つの違和感”と共に生きる

 

 

 

 

 

0.「高知県にバス移住計画」やってます。
現状報告を。 

 

3/22~3/29の期間、高知県に移るまでを書き記していきます。出来るならば、涌井さんのように自転車で向かってみたかったのですが、東京での移動が多すぎたり輪行ができないなど実現性に無理があったので止めにしました。

 

あ、参考までに金額(一人当たり)も載せておきますね。

 

 

 

 

1.なう。



ここまで。

 

 

 

初日(22日)

 

 石狩市(バス) 16:30    350円

 

→札幌(JR) 17:40     840円

 

→南千歳(バス乗換) 18:20  1000円

 

→苫小牧東港 19:00    8400円(和室Bプラン)

 

 

 

19:30に北海道を発ちました。

 

 

 

2日目(23日)

 

 秋田港 7:50 (30分待機のちバス) 440円

 

秋田駅西口 8:55

 

叔父のお宅へ。

 

 

 

→(高速バス) 22:20 新宿駅西口へ 9700円(学割7700円)

 

 

 

3日目(24日、きょう)

 

新宿(イマココ)

 

 

 

 

 

 

2.胸の内に抱える”2つの違和感”と共に生きる

 

よく、”自分の人生を生きなさい”と言われますね。世の中にはそれを後押ししてくれる言葉があります。

 

いろんなリスクを内に抱えながら向かっていく人びとのコメントから。



 


 




 

やりたいことが確実にできると思ったから今の生活を選んだわけですが、そこへ行く道のりも別に簡単ではなかったですよ。

”勇気”とか”怖さ”ってよりも”覚悟”がものすごくいりました。

自分の今までの生活から、生き方まで180度変わるわけですからね。

矢野大地 自由になったサル 「標高700メートルの生活よりも、スーツを着て就活して、会社に入る方が怖かった」より

 


 ただ、まだまだ2つ苦しいがあります。 

 

 

 

①世の中の大勢から外れる苦しみ

 

「新卒で入社して、経験値を稼いで、独立して(または一生そこに勤めて)飯を食う…という人生モデルがデフォルト、外れることはごくごく一部の異能者たるトップクリエイターだけができる特権だ」と思っていた自分からしたら、まだまだ世の中の流れに逆らうということに抵抗があります。心の奥底で、むず痒い気持ちになります。

 

 

 

でも、自我を殺して生きている人びとが疲弊したとき、どうしたら自死してしまうような苦しみを和らげることができるかなということも感じています。

 

ある意味、"人生の実験"として、いろいろな体験・そこで感じた感情を言語化することで社会の力になります。

 

 

 

 

 

②故郷から、母と離れる苦しみ

 

僕は江別市で産まれ、石狩市で育ちました。特にアイデンティティを養ったのは後者の石狩市で、住んでいた家には敬愛する祖父が居ました。彼は故郷・高知県名野川を離れ、樺太で育ち、戦争の召集令を受けアジア各地を転々と。終戦後は北海道各地に転勤し、ようやく終の住み処として石狩市に家を建てたのです。

 

祖父が作った庭の草木はとても綺麗でした。白洲次郎の如く、滲み出る人柄・品性・凛々しい振る舞いや所作から生まれる草木はまさに輝いていたといっていいほどに綺麗でした。

 

 

 

高校三年生のあのとき、祖父が亡くなりました。

 

祖父がいなくなり、庭を手入れする人が居らず、かつての姿をみることが出来なくなりました。

 

僕は学問だけはほどほどにできて、何も作り出せないんだなぁを痛感したのです。

 

 

 

「聞いとけばよかったなぁ。冬囲いのやり方、野菜作り…。あと、どんな人生を歩んだのかな。土佐ってどんな所だったのかな」

 

 

 

その思いが再燃し、就職活動を其方退けて高知県に向かったのは半年前。

 

 

 

自分を形作った、ふるさとを去るのはつらい。何年後に戻り、住むことができるのか分からないのですから。一生たどり着くことはないかもしれません。

 

それでも、高校時代に抱え込んだあの後悔、就職活動を通じて再燃した後悔を克服するために、住み処をリセットして、"自立"を目指して高知へ向かいます。

 

そして、かつて東京で作ったフルサトを作るように、

新しいフルサトを作り出していこうと、心に決めたのです。

 

 

 

 

まとめ

人生一回。社会人としての第一歩は、「勇気を持って発信していくこと」だと捉えて進みます。

 

かつて、被害妄想ならぬ「加害妄想」に囚われたままの自分への復讐と、独り立ちのために。

 

フルサトを、作ろう。