【PR】鮮やかな朱色の屏風絵。高知の絵師「絵金」を知っているか?


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どうも、高知県でライターとゲストハウスをしてます片岡(@KT_Okey)です。

 

高知は偉人をたくさん輩出している地域であります。

ひとつ例をあげてみれば…坂本龍馬岩崎弥太郎武市瑞山 などなど…。

 

とりわけ坂本龍馬さんはもちろんのこと、最近では「サムライせんせい」の実写化で

武市半平太(瑞山)も話題になっているようで…。

 

 

 

その裏に、たくさんの人々が隠れていることは、なかなか気付かないもの。

「高知は龍馬の国」…そこから一歩踏み出してみましょう。

 

 

この記事では「サムライせんせい」こと、武市半平太絵の師匠

さらには半平太の幼少からの友人である坂本龍馬に芸術・政治へほとばしる情熱を与えたやもしれぬ、江戸時代後期の絵師・絵金(えきん) のことを、ここで紹介いたします。

 

 

 

絵金 とはどんな人物だろうか?

 

①町人身分から、才能ひとつで大出世

http://www.pref.kochi.lg.jp/_files/00011815/ekin_3-p1.jpg

【参照】 絵金 | 高知県庁ホームページ

 

 

絵金は、本名:弘瀬 金蔵(ひろせ きんぞう 1812~1876)と言います。

絵金は通称であり、「町師の蔵」と名乗ったことから絵金と呼ばれました。

(以下"絵金")

 

髪結い職(今でいう理容師)の木村氏のもとに生まれ、医師・弘瀬氏の跡取り・養子となりました。

幼少からその才能を見受けられ、16歳で土佐藩の命で上京。

わずか3年で*1修了し、日本絵画でトップの「狩野派」の画家として認められ、1832年土佐藩の絵師となりました。

 

 

__なにがすごいかと言われると…?

いや町人のガキンチョが、超一流グループの芸術家になったわけですから。

それはもう、ものすごい大出世なわけですよ。

土佐藩の重役がバックに支援してくれるような、屈指の芸術家となったのでした。

 

 

② 嫉妬と方略。不遇を受ける金蔵

地位も固まりつつあったしばらく後の頃、金蔵は突然に土佐藩から疑惑がかかり、詰問されます。

 

なんとも「金蔵は、狩野派の偽物の絵を描き、不当に売りさばこうとしたのではないか?」と言いがかりをつけられたわけです。

どうやら過去に、練習のために模写したものを証拠に仕立てられたようです。

 

 

金蔵も反論します。「昔に練習のために書いたものなのに、なぜ質屋に自ら出すような真似をするのか?」と。

が、確たる証明ができず、所属するチーム狩野派」からの破門(除名処分)を受けてしまいます。

 

狩野派から追い出された絵師」となっては、土佐藩も雇っている意味がありません。

金蔵は土佐藩に解雇され、高知城下立ち入りまで禁止されてしまいました。

 

※こうした言いがかりから始まった一連の事件がなぜ起こったのか?

町人から土佐藩お抱えのスーパー絵師となった金蔵のサクセスストーリーが、町人身分の人々の嫉妬・妬みの対象となってしまったことが原因とも言われているようです。

 

 

③ 自由と放浪。たどり着くは土佐・赤岡へ

失意はあったはず。それでも金蔵は幅広い世界を見に、放浪の旅に出ます。

放浪生活は、約20年間に渡ります。

 

その間、どこに居たかははっきりとわかりません。

ある説では高知県の東部や西部にいた…。

もしくは上方・江戸(現在の東京)で、劇団に所属していたとも言われています。

 

土佐藩の外へ、出向いたかもしれません。40代・不惑の年齢であった金蔵の中にふつふつとエネルギーが溜まっていきます。

 

そうして慶応の年(1865~1868の間)、叔母の家がある赤岡 (現在の高知県香南市赤岡)に居を構え、創作活動に打ち込みます

ここから、香南市赤岡との強い縁ができたのです。

 

自らを「町絵師の金蔵」とだけ名乗り、赤岡の農民や漁民らの要望あらばどこへでも。

芝居絵や台提灯、絵馬、凪絵など……

情熱ほとばしる筆を手にして、鮮やかな赤色の絵を中心に描き続けました。

 

https://www.kochinews.co.jp/image/article/650x488/67/bbeffd29e67bf2fb573f3dbf600fc830.jpg

血赤」と称される鮮明な朱色が、絵金の代名詞。

 

 

彼の弟子が書いた作品だけでも、200点以上に渡って残存しております。

かの土佐藩に属し(土佐勤王党の党首でもあった) 武市半平太や、知識人&画家の河田小龍(かわだ しょうりょう)も金蔵の弟子でありました。

 

1876年に没するまでの10年間、赤岡の地で、

利き腕の右手が病気で不自由になろうとも、左手で描き続けたと伝えられています。

最期まで情熱の絵師として生き続けたのでした_。

 

 

資料館や舞台まで… 絵金の情熱を、後世に伝える活動もあります。

 

改めてどうも、片岡(@KT_Okey)です。

土佐の超有名人の陰に隠れながら、情熱の絵師として語り継がれている絵金さん。

例えば、絵金の過ごした香南市赤岡では、「絵金祭り」が7月中旬の土日を使って毎年開催されています。街には赤提灯に照らされた屏風絵がたくさん揃います。

 

https://www.kochinews.co.jp/image/article/650x488/67/23acd8421ddc8f84490080de423e2643.jpg

↑ 2016年・40周年を迎えた「絵金祭り」の様子(参照:高知新聞)

 

 

【参照】

絵金祭り - 絵金蔵 公式ホームページ

第41回(2017年)土佐赤岡絵金祭りの開催について|行事・イベント|香南市役所

 

 

このほか、11月にはこの絵金蔵近くの舞台「弁天座」にて、絵金の生涯を描いた舞台も公演されます。

https://pbs.twimg.com/media/DBZ7_A1UIAA4ooI.jpg

【参照】絵金縦遊伝 (@yoibarezaekin) | Twitter より

 

 

東京の劇団が、5年に渡って絵金の舞台を形作り、2回に渡って開催し続けてきました。

 

そして今年は3回目。

ようやく絵金のふるさと・高知県赤岡で開催が決まってクラウドファンディング」も実施しています。

 

youtu.be

 

 

記念の高知県開催の舞台。

ただいま高知県では「幕末維新博」というキャンペーンも展開、さぞ準備万端なのだろうと思いきや…。

補助予算が降りず、自己資金で賄わねばならない状況にあるとのことでした。

(この話、助成金の対象会場が違うから助成金は出せない…だとか大変らしいそうで…)

 

 「絵金」こと幕末土佐の絵師、金蔵(1812~1876年)と妻の初菊の生涯を描いた二人芝居「絵金縦遊伝(しょうゆうでん)~漁(いさ)り火の向こう~」が11月に“絵金のまち”高知県香南市赤岡町で上演されることになった。

 絵金役の神山てんがいさんは「夢がかないました」と感慨たっぷり。6月22日からクラウドファンディングで公演費用などの寄付を募っている。

 

 神山さんと(高知出身のプロデューサー)渦さんは、

初演をやる前から赤岡を“ゴール”にしようと決めていた。高知で一番、絵金さんを愛しているのは赤岡の人たちだと思いますから」と口をそろえる。

 住民らの協力もあり、高知で初の本格公演が実現の運びに。5月には神山さん、渦さん、上森さんが赤岡入りし、会場となる弁天座の下見や地元との打ち合わせを行った。

「侍だけじゃない、幕末の土佐を生きた絵師を広く知ってほしい」

 

高知県赤岡町で芝居「絵金縦遊伝~漁り火の向こう~」 11月の公演費用など寄付募る|高知新聞

 

 

今回11月公演と、今後の舞台実演のためのクラウドファンディングも実施しています。

簡単にいえば「サポーターになってください!」ということです。

 

クラウドファンディングのページは こちら 

幕末土佐の絵師「絵金(えきん)」の物語「絵金縦遊伝」の舞台を東京から高知・赤岡へ! - クラウドファンディングのMotionGallery

motion-gallery.net

 

 

 

 

ぼく自身も、こんな人々がいたことに感動しました。「サムライせんせい」の武市瑞山先生も、もしかしたら坂本龍馬さんもお会いして何かを得たかもしれないですからね。

何かでつながっているような不思議な感覚です。

 

ぜひとも、南国土佐・高知県文化遺産として語り継いで欲しい!という思いを重ねてご支援させていただきますので、ぜひご賛同してくださると幸いです。

 

 

参照ホームページ

・絵金の人となり:弘瀬金蔵 - Wikipedia

・絵金の作品群:「絵金蔵」 http://www.ekingura.com/

 

・舞台の情報はこちら: 絵金縦遊伝 (@yoibarezaekin) | Twitter

クラウドファンディングでの支援はこちら

「絵金縦遊伝」の舞台を東京から高知・赤岡へ! - クラウドファンディングのMotionGallery

 

 絵金蔵にも行ってみました。

www.shingokataoka.com

 

*1:修行期間は、通常ならば10年はかかるとされた