ようやく気づきました。俺は「”文学”がやりたいんだ」ってね。


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あなたはどうして、文章を書くのですか?

 

「いいね!」2つ程度の、誰にも読まれているのかすらわからない文章を。

 

 

どうして、文章を書くのですか?

 

たかだか数十程度のPVしかたたき出せない記事を。

 

あなたはそれで生きていけるの?意味なくない?

 

たくさんの幻聴とともに、自問自答する。

たまたま何かを感じ取った記事を開いては読む。

過去を振り返る。

そうしてまた、自問自答する。

 

インターネットの世界では圧倒的後者たる自分は、こうして道無き道を切り開く。

 

そうして、一つの結論に至った。

「俺は文学がやりたいんだ」とね。

 

 

 

情報過多のこの時代に、文章を書く理由

 

何気ないツイートでも、読まれるのかわからない近況も、記事化した文章でも何でも構わない。

なぜ、読み流されていく文章を、自分は書くのか?

 

すこしばかり自分のことを振り返ってみた。

自分には、絶望的に戦略性がない。

「どうしたら流行りに乗れる?」

「こんなテーマを今書いたら面白いぞ!」

 

シナリオを、描けないのだ。

だから、シリーズが続かない。

その結果が数万PV”程度に留まっている理由の一つであるはずだ。

 

検索向けにキュレーション(まとめ記事)を書こう思えばかけるのかもしれないが、とにかく手が止まる。振り切れないのはなぜだ?

 

 

そうして、一つの仮説にたどり着く。

僕は、”物語”が描きたいのだ。

 

 

■自分のエモーショナルな・感情を揺さぶったあの情景を、物語として伝えたい。

 

その一心が、自分の手を動かす。

「誰かの物語を、僕が書いてやらねば誰が描く?」

そう、これは俺の文学だ。

 

この感動は、他の誰かに伝えたい!高知にきてほしい!自分を痛めつけて絞るようにしてでも書かねばならない!

何かの物語を書くことで、自分という文学が進んでいく。

その文学を作る為に、書くのだと。

 

 

…僕は自分に冷たく・よそ向きに評価してやる。

僕は先駆者にはなれぬ。

飛び込む力が、僕にはあらぬ。

 

あるのは、ほんのすこし好奇心が強く、ほんのすこし無駄な知識が多く、ほんのすこし初対面でも話せる程度のコミュ力であろう。

 

それなのに、自分は「選手」であることを望んでいる。

「評論家もどき」には絶対にならぬ。傍観者で何が面白い?

辛く、苦しい試合場に立つことが、自分の宿命だ。

 

「できねば、引退しろ」

無数の幻聴が、頭の中をよぎる。

 

 

平凡なら、足を動かせ。自分の眼で見ろ。

 

なんにでも興味を持て、代わりに言葉にせよ。

そうして、この感動を書くのだ。物語を書くのだ!

つなげ、繋げ、繫げ!

 

……そうした結果、この一年多少なり評価された記事が出てきただけでも幸せなことなのだろう。今でも多少なりよく読んでくださっている。

 

www.shingokataoka.com

www.shingokataoka.com

 

 

 

今はいつも引退が掛けた1日が始まる。

一瞬に、生きるのだ。物語を紡ぐのが僕が書く理由だ!_

 

 

 

ということを、小倉ヒラク氏のブログ記事より感じたわけでございました。

 

【参照】

hirakuogura.com 

「文学としてのビジネス」において、商品やサービスの未完成な部分、足りない部分は「クオリティの欠損」ではなく「物語が発生する装置」として機能する。「持たざる者である状態」を克服し、完成に向かって進んでいく様が同志たちに感動を与える。エモい。

 

 

 

 

 

「あなたはどうして文章を書くのですか?」

 

自分自身に問うてみる機会を作ってみてはいかがでしょうか。