Re-vival from Kochi.

北海道出身の筆者が、祖父のルーツを求めて高知県に戻りました。ブログを書くことを通じて、もう一度生き直します。

どうせみんな「日本国の糧」なのだから、


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「将来の人々が使えるような、面白いものぶちあげようぜ!」

というのが今回のメッセージです。

 

 

( このシリーズの6回目となります。あと一つか…。)

www.shingokataoka.com

 

 

面白いことじゃないと心が続いていかない!

 

世の中の仕事の8割は雑務の連続であると、よく言われるそうですが、

自分の描いているものと一貫していないと、「なんのために仕事しているのだっけか?」となるわけです。

 

よく例え話で持ち出される「3人のレンガ職人」のお話なんてそうですよね。

 世界中をまわっている旅人が、ある町外れの一本道を歩いていると、
一人の男が道の脇で難しい顔をしてレンガを積んでいた。
旅人はその男のそばに立ち止まって、

 「ここでいったい何をしているのですか?」

と尋ねた。

 「何って、見ればわかるだろう。レンガ積みに決まっているだろ。
  朝から晩まで、俺はここでレンガを積まなきゃいけないのさ。
  あんた達にはわからないだろうけど、暑い日も寒い日も、
  風の強い日も、日がな一日レンガ積みさ。
  腰は痛くなるし、手はこのとおり」

男は自らのひび割れた汚れた両手を差し出して見せた。

 「なんで、こんなことばかりしなければならないのか、
  まったくついてないね。
  もっと気楽にやっている奴らがいっぱいいるというのに・・・」

旅人は、その男に慰めの言葉を残して、歩き続けた。

 

 もう少し歩くと、一生懸命レンガを積んでいる別の男に出会った。

先ほどの男のように、辛そうには見えなかった。
旅人は尋ねた。

 「ここでいったい何をしているのですか?」

 「俺はね、ここで大きな壁を作っているんだよ。これが俺の仕事でね。」

 「大変ですね」

旅人はいたわりの言葉をかけた。

 「なんてことはないよ。この仕事のおかげで俺は家族を養っていけるんだ。
  ここでは、家族を養っていく仕事を見つけるのが大変なんだ。
  俺なんて、ここでこうやって仕事があるから家族全員が食べて
  いくことに困らない。大変だなんていっていたら、バチがあたるよ。」

旅人は、男に励ましの言葉を残して、歩き続けた。

また、もう少し歩くと、
別の男が活き活きと楽しそうにレンガを積んでいるのに出くわした。

 「ここでいったい何をしているのですか?」

旅人は興味深く尋ねた。

 「ああ、俺達のことかい?___

(引用元)

 

頭の中に思い浮かべる未来予想図・ビジョンによって僕たちの行動は変わっていきます。

 

「社会の歯車」の意味をどう考えますか?

つい最近、こんな話を思い出しました。学生時代にした話です。

片岡「仕事をするなら、代えのきかない存在を目指すべきだ。」

  「一生組織にいて、歯車の身分を選ぶのは違うと思う」

 

後輩「それは違う。実力のない人は組織に守られないと生きられない」

  「だいいち、あなただって社会の歯車でしょ。無自覚でしょうけど」

 

「社会の歯車」と呼ばれるのはどういうことでしょうか。

この「歯車」というニュアンスに、否定的な意味合いも含んでいるでしょうが…。

 

そもそも、国家に生まれた時点で「社会システム」の一つなんです。

長い期間をかけて教育を受け、いっぱしの社会人として働きに出るようになるのですよね。

 

で、重要な前提として、

「どうせ、僕らがいなくてもこの社会というのは回っていく」事実を、私たちは頭に置かねばなりません。

 

会社組織や自治体、ひっくるめて働く組織なんてのは"体の部分"はどうとでもなる、替えが効く存在。ここが「社会の歯車」と呼ばれる理由なんでしょうね。

 

で、そんな替えの効く組織にいたとして、ストレスを抱えすぎて故障してしまったら元も子もないわけで。回復までには時間がかかってしまいます。

 

それならば、あなたにとって生きやすく、活動しやすい環境に身を置くべきなんです。

社会からすれば、あなたがどこで生きようと知ったこっちゃないですよ。

 

ふだん何かと言っている批判する人も、

「こいつやばいな!でも俺は忙しくてお前の人生に絡んでいる暇なんざないんだよ!」

だから、ただただアンチコメを飛ばす程度にしか、あなたの人生に関してはなーんにも関わる気なんてないんですよ。

 

 

だから、あなたがどこで生きても構いません。

いちばん居心地の良い場所を探し、その場所に住まい、生きるべきなんです。

その方が、同じ日本社会のシステムに組まれるならばよっぽど有意義じゃありませんか?

 

 

だから、どうせ「日本社会の糧になるならば」

たとえぼくがいなくなっても何かしら形に残り、

次の世代の人々も使えるモノ・知識・記録を残す方が貴重だと思っています。

 

例えば、僕の例で恐縮ですけども、

ぼくはゲストハウスとブログをしながら「家の記録」と「高知市魚の棚商店街の記録」を作っています。

この二つは、だーれも取り掛かれる人がいないのです。

 

誰が興味を持つか、アクセスするかは知りません。

でも、これが希少性のある、その地域にとっては貴重なモノになりうるわけです。

 

これは次の世代の、住む人やぼくと同じように家の歴史を調べる人にとっては価値のあるものになるかもしれません。

 

 

ちょっとキザな言い方をするなら、

命を燃やせるコトにエネルギーを注いだ方がよっぽど社会の為になると思いますよ。

 

あなたの日々していることは、誰へのプレゼントですか?

 

 

「⑦ぼくの「行動力」は、たった1つの思いがあるからである。」

に続きます。さぁこれで最後だ…。