片岡、100年越しの故郷へ。

Return to My roots, from Hokkaido.

【タイ3日目】言霊は紡がれる。願わくばそのねがいを叶え給へ。


スポンサーリンク

f:id:shinK:20161116035116j:plain

www.shingokataoka.com

 

www.shingokataoka.com

 

この日もカオサン通りのゲストハウスにおりました。

さて、前日にいくことのできなかったワット・アルンへ徒歩30分、船継ぎ場を往復6バーツ使って行きました。

 

 

f:id:shinK:20161114174556j:plain

ワット・アルンは、かの三島由紀夫が、

最期の長編小説「豊饒の海」の一章にて”暁の寺”という章題を記しました。

そのモデルとなった寺院がこのワット・アルンです。

 

ちなみにこの小説は、主人公である「本多繁邦(ほんだ しげくに)」の友人である松枝清顕(まつえだ きよあき)との物語です。

 

この松枝は、実ることのなかった愛と共に、病に蝕まれ、夭逝してしまいます。

死に行く直前、松枝は本多に

 

        「又、会ふぜ。きつと会ふ。滝の下で」

 

と言い残してこの世を去ります。

その後、松枝は3度にわたって生まれ変わり、本多の前に姿を現わすのです。

 

 

興味が湧くなら、切り口はなんだっていい。

未だにこの「豊饒の海」は読んだことはありませんが、こうした背景を知って少しばかり興味が出始めております。

 

散々時間を持つことができる学生時代、友人と話すと「学生時代か。僕(私)は小説を乱読した」という話をちょくちょく聞きます。

 

僕はまったく逆で、文学にはさほど興味のない4年間を過ごしていました。

 

某先輩方、同輩からは「小説は読んだ方がいいよ…」というアドバイスを受けても、何か引っかかるところがなかったのです。

 

結局、大学に在学した4年間で、開いてみた小説は、10冊にも満たないでしょう。

 

たまたまマイブームっぽい時期があって(それでも1週間ほどで終わったが)、

覚えている小説といえば、「ライ麦畑でつかまえて」と「ライ麦畑を探して」くらいでしょうか。

「旅」をしたいという原体験となった小説です。

最初は、読んでみたかった村上春樹氏が書いた本くらい読んどかな…という恥に近い感覚を持ったのがきっかけですかね。

そうして今に至るわけですから不思議なものですね。

 

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)

 

 

 

 

ライ麦畑をさがして (竹書房文庫)

ライ麦畑をさがして (竹書房文庫)

 

 

豊饒の海」に話を戻しまして、

ワット・アルンと三島の繋がり、または歴史に魅かれることがなければ、この小説にひとつたりとも興味を持つことはなかったわけです。

 

興味の入り口はなんだっていい。ただただ「知りたい!」という心が続くのであれば、どんな入り方でも許されると僕は思うのです。

 

 

言葉の魂、言霊は輪廻転生する。

さて、この小説「豊饒の海」は"輪廻転生"を題材とした物語です。

言葉にもそうした力というものが宿っていると考えていて、一度願った思いはまたどこかで巡り巡り続けているのです。

 

僕も2014年頃でしょうか。「一人でも多くの人に出会っていきたい」と願うようになり、それからというもの沢山の出会いに恵まれています。

 

高知に縁をくださった方、20数年間知ることのなかった親戚、僕に勇気がなく声をかけられなかった方、その哲学やきっかけを訪ねて深遠まで伺ってみたかった方…

これまで沢山の人と出会うことができました。

 

 

スタンド使い」同士が、惹かれ合うかのように、でしょうか。

言霊を持つ同士が、何かの巡り合わせで引き合わせ、巡りめぐってどこかでばったり会う。

「何を言っているのかわからねーと思うが…」こうした言語化し難い正のエネルギーはあるのだと確信して、各地を巡って降り立ってはざっくばらんなことを話しかけている次第です。

 

たくさんのしがらみがあろうがなかろうが、「こんなことしたいです!」というメッセージを発信することは自らエネルギーを引き寄せるためには大事なことです。

 

半年前に願った、坂爪さんとの出会い。

実はこのバンコクに滞在していた際、偶然にも坂爪圭吾さんとお会いする機会がございました。なかなかやばく、描く世界観が飛び抜けたお方でした…!

ibaya.hatenablog.com

 

 

 

半年前にも高知県にいらっしゃるということで現地に行こうと思ったのですが、ファミコンRPGゲームでいう「けいけんち が たりません」のように感じたので行きませんでした。

今思うと勇気を出して赴いても良かったのでしょうが、当時の僕は何を話しすることかできただろうか、正直わかりません。

 

 

しかし、言霊がどこかで巡り合わせをしてくれたのでしょうか。

 

それからというもの、

この「旅するローカルアジア」を企画してくださった充さんともいかさんと出逢い、こうした運びでバンコクでお会いすることになったのですから、

つくづく「人生は不思議なものだなぁ」と何度も思うようになるわけです____。

 

 

 

実際の坂爪さんはとても「楽しい」と思えることに敏感・感覚的で、そして御歳にして「さとり」を得た方だと感じた。

 

僕も含めて「お金がなくて、どうして生きていられるのですか?」という頓珍漢な問いを投げかけてしまいがちだが、

彼の世界の中で、沢山の"言霊"たちが回りに巡って、彼のもとに集まっている。だから彼は生きることができ、生かされているのだと感じた。

 

そして彼もまた、循環の輪の中にごく自然になじむように誰かに思いを紡いでいる。

 

「お金がなくても生きられる…」という最近よく提唱されるこのテーゼは、実はこうした輪廻を生み出し、この輪廻を絶やすことなく、紡いでゆく営み、また結論の一つではなかろうか。

 

 

 

 

____ということを思いながら、二日後夜行列車に揺られ、チェンマイへと向かいました。

 

 

 

言霊を、縁を紡げ。そうして物語は続いてゆく。

私の好きな言葉に「これを御縁に_」という言葉がある。

日常では「これを御縁に、これからもどうぞよろしくお願いします」というように使っている。

縁ははじめて出会った瞬間から始まり、終わることなく続いてゆくという意味である。

 

 

私はこの言葉の意を初めて耳にした時、「とても美しい言葉だ」と感じた。

 

僕は初めて出会った方には必ずこの言葉を使うようにしている。

この世界の中で70億分の1の出会いを、大切にしよう。

たまたま会ったあなたに、慈しみとともに話をしよう。

そう願いを込めて、この言葉を伝える。

 

そうしたら皆で、踊り行こう、人生を。

        舞い上がろう、大地を。

        飛んで行こう、世界中を。

 

そうして、物語は紡がれてゆくのだから___。

 

人生は続く。