Re-vival from Kochi.

北海道出身の筆者が、祖父のルーツを求めて高知県に戻りました。ブログを書くことを通じて、もう一度生き直します。

尊敬する人々には「美しさ」がある。そしてそれは最上の価値となる。


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9月に入りましたね。高知県はうっすら秋の匂いがしてきました。お店の冷房が寒かったです。

 

あなたが尊敬する人はどんな人ですか?

僕にとって尊敬する人は「美しさ」を持っている人です。

 

 

「真善美」 まことさと、よさは追い求められど

昔から使われた言葉で「真善美」という言葉があります。

 

しんぜんび【真善美】

人間の理想である,真と善と美。それぞれ,学問道徳芸術の追求目標といえる,三つの大きな価値概念。

ースーパー大辞林

 

 

つまり、真=学問の追求 善=道徳の追求 美=芸術の追求 することを、象徴的な言葉でまとめたものと言えましょう。

 

このうち”真”と“善”は、象徴的には「人権」「平等」「平和」「民主主義」という言葉で教えられているはずです。

さらに掘り下げるならば、学問の追求、言論の自由、法の下の公正な裁判、少数民族の保護、絶滅危惧種保全などなど…

 

そしてこれら”真”  “善”は誰もに共通させることができる普遍性・再現性を持っています。だからこそ、様々な教育現場、国でこれらが唱えられるのは当然のことです。

 

しかし、真善よりも、さらに一人の人間たらしめる価値基準が”美”なのです。

 

 

 

 

わたしたちは何の、どの部分を見て、美しいと感じるのか?

 

その美しいという一つの言葉を定義するだけでも、いろんな表現があるわけです。佇まいがー 洗練されたー 無駄が削ぎ落とされたー…。

 

もちろん、美という言葉は、動作や形象物だけを対象に表現できるような表面的な薄っぺらな言葉ではありません。

 

ここでいう”美”には、動機・原体験に突き動かされる、

その人の生き方(在り方)を、最終的に一人で決めて実行するというその一人の人間たらしめる理由があるのです。

 

美にはある種の「勇気」が試されます。

線路で見ず知らずの人が落ちてしまった… 何十人もの怪我人が眼前にいる… 社会の歪みを感じ憂い、助けを求める人々がいる…

様々な状況で、その人の”美しさ”は試されます。

 

 

”美”という概念が人を形作る

改めて定義するなら、

美とは、ー利得の計算からは遠く離れてー自らが信ずる理想の在り方を表現したものであるー

 

これは例えばどんなに教育で教えようとも、全く同一のものは刷り込むことはできません。

 

僕のことを例にとるなら、たとえどんなにこの高知県で様々な人々と関わり、勉強させてもらおうとも、自分にとって一番理想的な在り方は自分で決めるしかないのです。

 

「美しさ」が最上の価値基準だというのはこうした「孤独さ」と切り離せないからです。自ら考え尽くすしかないのです。

 

人間八十年 人の歴史に比ぶれば 二度生を受くる如きなり 

平均寿命は80歳を超えるように、人生は非常に長くなりました。

だからこそ、自分にとって一番何よりも素晴らしい在り方、佇まい、振る舞い方、このモノを使ったりそうした言葉遣いをする価値基準…etc

そんなことを、考えてみてもいいのではと思うのです。

 

 

参照書籍はこちら

人間にとって成熟とは何か (幻冬舎新書)
 

 

 

人生の原則 (河出文庫)

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