Re-vival from Kochi.

北海道出身の筆者が、祖父のルーツを求めて高知県に戻りました。ブログを書くことを通じて、もう一度生き直します。

【コラム】異例の監督就任から5年。「人を育てる名将」栗山英樹監督の凄さとは?


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※初更新:2016 6月8日  2017.5.12 「ブランドン・レアード選手とのエピソードを加筆しました。

 

みなさんには、憧れの存在となる人はいますか?

立ち振る舞いがすばらしい。リーダーシップがある…。

尊敬する人に対して、思うことは沢山あるでしょう。

 

私は、確たる方向性へ導き、これからの未来予想図を描くようなリーダーが好きです。

 

特に「共感し、その人の良さを引き出す」ようなリーダーには憧れを抱いています。

たとえ野球という特殊のように思える分野であっても、

人の力を引き出し、導くための考えは、どの分野でも普遍的なものになるのですから。

 

 

この野球の世界でも、たくさんの"名将"と呼ばれる「監督」が世に出てきました。

しかし、この記事で書く監督は「新時代の監督」と言っても良いでしょう。

時代が変わるにつれて、全体的な選手の傾向や社会背景が異なり、

今の時代にもっとも適した監督だと言えるから…。  

 

この回では「人を育てる名将」、北海道日本ハムファイターズの 栗山 英樹(Hideki KURIYAMA) 監督について、書き記します。 

 

 

 

 

【追記:なぜ知名度もない筆者が、栗山監督のことを書くのか?】

たまたま読者となった、あなたに伝えたいからです。

 

野球は「言葉」「間」「雰囲気」のスポーツだと考えます。

 

すこしイメージしてみてください。

野球にはよく"間"があると思いませんか ?

(例えば、攻守交代や、一球投げるまでの時間…思い起こせば、野球にはたくさんの"間"があります)

 

サッカーやバスケと比べても、”間”で占められるスポーツ…。

 つまり、この"間"で、どう考え、決断するかが重要なのです。

 

そして「考え、決断すること」には、論拠や客観性、また自己コントロールが必要です。

 

特に、選抜され尽くした選手が集まるプロ野球では、運動神経・思考に至るまで大雑把なプロセスでは通用しない、非常に緻密な世界だと言えます。

  

裏を返せば、考え方次第ではフィジカルエリートにも勝てるわけです。

それは、

・チームという、人々の集合体にも言えることである_。

・たとえスーパースターが9人いなくても勝てる、成果を上げる方法はある_。

ことを、野球というスポーツで示したのが、栗山英樹監督なのです。

 

事実、「選手の補強にお金をかけられない」事情を持つ北海道日本ハムファイターズで、「5年間で2回優勝」を勝ち取りました。

 

栗山英樹は、

プロ野球に「言葉の力」「哲学を持った人の強さ」を吹き込んだ_。

そして、その事実をファン歴10年以上の僕がまざまざと感じた_。

ここにたどり着いた、読者の世界観が広がるための一助になれれば…幸いです。

 

 

 

 

 

 

※【 はじめに】

この記事は私、「北のウォーリー」こと片岡慎悟のコラムです。

10年来日本ハムを応援し、プレー歴15年を数える私の観点から書きます。

もし興味が出てきたら右の記事や、いま滞在している高知県のお話もチェックしていただけると嬉しいです!

 

 

栗山英樹ってどんな人?

【略歴】

1961年4月26日 東京都小平市出身

東京・創価高校東京学芸大学

1984~1990年 ヤクルトスワローズ 外野手

 

2012~ 北海道日本ハムファイターズ 監督

 

 

 1961年4月26日、東京都小平市の生まれ。創価高校東京学芸大学を経て、1984年からプロ野球選手(ヤクルトスワローズへ入団)となりました。

大学4年次までは教員を目指していたそうですが、プロ野球選手への思いが再燃し、入団テストを受験・合格したのです。)

http://athlete-fan.com/wp1/wp-content/uploads/2016/03/img513.jpg

⬆️ヤクルト時代の栗山氏。小柄でパワーがない自分が希少価値を高めるにはどうしたら…と考え、内野手から外野手へポジションを変えたり、左打ちへの挑戦したり…

「活かせると感じたことには、何にでも取り組んだ」と述べる。

 

 1986年、1988年と2度の打率3割*1を記録し、1989年にはゴールデングラブ賞*2を受賞しました。

 しかし、1990年のシーズンを最後に現役引退。突然に選手のキャリアを終えてしまいます。この時29歳と野球選手としては短命でした。

 

 その後は「野球解説者」「スポーツ番組司会者」「大学教授」など、元プロ野球選手としてはかなり特色のあるキャリアを積み重ねました。

 

 

 2011年・冬に転機が訪れます。

北海道日本ハムファイターズから「一軍監督」の依頼が来たのです*3

 

 彼はその依頼を受け、2012年から現在に至って日本ハムの監督として指揮を執り続けています。

 指揮官として、2度のリーグ優勝・1度の日本一、そして5年間でAクラス*44度を記録。

およそ「素人監督」とは呼べない成果を残してきたのです。

 

では、その原点は何なのか…?

それを探っていきましょう。

 

原点① わずか7年の選手生命。そこには謎の病の存在があった

ヤクルトスワローズで迎えた選手2年目、試合中に強い目まいを覚えました。

病院で、耳中の三半規管の異常が起こるメニエール病と診断されたのでした。

「ある時、練習に来ないので"クリはどうした?"と聞くと、誰かが"朝起きたら目まいがする"と。それで練習後、本人に"大丈夫か?"と聞くと"目が回ってちゃんと立てないんです"と言っていました。

 二軍の試合中、目が回ってフラフラになりながら、タイムをかけ、途中交代したこともあったと聞きました。疲れがたまると良くなかったみたいですね。ただ、彼が立派だったのは、そういう病気を言い訳にしたり、弱音を絶対に吐かなかったこと。いつも、ひたむきに野球をやっていましたよ」

二宮清純レポート 栗山英樹 ヤクルト時代の先輩・杉村繁の話ーより

 

 

一時的に症状を軽くすることはでき、1年1年成績を残すことができたものの、以前のようには練習メニューすらこなせないほどに神経・体力がすり減ってしまったそうです。

 

「このままでは日常生活すら困難になる…」

球団からも「1年間の休養」「復帰するまでのフォローを約束する」という好条件のもと、復帰までの後押しを打診されたそうですが、1990年に引退を決めました。

 

栗山自身も、世代が変わりつつあることを自覚していました。

そして、この時期に一つの悟りを得ていたそうです。

 

  「あの頃、ヤクルトには柳田浩一飯田哲也といった僕と同じタイプの若手が出始めていた。もし僕が監督でも、将来のチームのことを考えれば、そっちを使っていたと思うんです。

 

 だから、野村*5さんとの時間は僕にとっては宝物なんです。

 あの経験があるから、今、選手たちに対して、きちんと向き合うことができるんだと思います」 

二宮清純レポート 栗山英樹  小手先の技術より最後は愛だよ より

 

原点② 解説者・司会者・大学教授…異例のキャリアで育んだのは、先生のような温かく、強い「言葉の力」

 引退した翌1991年から解説者、キャスターとして客観的な視点から野球を開設するようになりました。

 

 解説者時代は、「ニュースステーション(後の"報道ステーション”)」でスポーツキャスターを務めました。

 当時アメリカで活躍していたノーラン・ライアン投手や高校野球へのインタビューと、日本プロ野球に留まらない取材は好評を博しました。

 

  知的な雰囲気に、丁寧・分かりやすい解説、温かみのあるインタビューはあたかも「先生」のようです。

 

こうして平日・夜の名スポーツキャスターとして全国に知名度を拡げました。

http://pds.exblog.jp/pds/1/201111/03/14/e0126914_23371418.jpg

⬆︎テレビ朝日報道ステーション」スポーツキャスター時代。

 古舘 伊知郎 氏(左側)らの質問に対して、簡潔明快な切り口での解説はお茶の間の人気を博した。

 

 

 

さらに白鴎大学から先生として招聘され、 

スポーツキャスター、大学教授、ジャーナリスト…という特異なキャリア。

そうした背景を持ち、満を持して日本ハムの監督となったのです。

 

 

日本ハムに招聘された理由「栗山町観光大使

実はもう一つ、日本ハムとの縁があった理由があります。

2002年から、自らの名前と同じ「北海道・栗山町」の観光大使を務めているのです。

 

栗山監督の、アメリカへの取材を通じて大きくした「天然芝の美しい球場を作りたい」という思いと、栗山町の活性化を目指した青年会議所の人々との願いが一致し、

1998年から4年の歳月をかけてログハウス・天然芝の球場「栗の樹ファーム」を創り上げたのです。

http://pds.exblog.jp/pds/1/201108/21/56/c0097856_1553444.jpg

↑ 実際の栗の樹ファーム 米国の映画「フィールド・オブ・ドリームス」そのままの美しい情景。さしずめ野球界の桃源郷か…。

 

 「天然芝は転がっても痛くないし、安心してプレーできる。だから楽しい。楽しいからもっとうまくなろうって頑張れる。

 土の上で泥だらけになって野球やるのも必要ですが、それよりも『楽しい!』って思えることが先じゃないでしょうか。

 芝の上だと転がっても痛くないから楽しいという発想、それがスポーツの文化だと思うんです」

 

 そんな熱くも壮大な思いが、栗山さんの野球場づくりには込められている。 

「栗山英樹」北海道人インタビュー:北海道人より

 

 

 

 

こうした北海道との繋がりも相伴って、北海道日本ハムの監督に就任したのだと推測されます。

「北海道には僕が作った球場(栗の樹ファーム)がある。昔から大好きな土地柄なんです。

 

 加えて、ここ(北海道日本ハム)はフロント主導型の球団。

僕がキャスターをやっていた頃、そういう方向が今後のプロ野球界に望ましいと伝えてきました。

 

 この球団なら、僕にもやれることがあるのではないか……。そう考えると(就任の決断は)難しくはなかったですね」

二宮清純レポート 栗山英樹(51歳・日本ハムファイターズ監督 )小手先の技術より、最後の勝負は「愛」だよ(週刊現代)より

 

栗山監督自身も、最も願ったチームからのオファーでした。

 

 

 

従来の「監督像」とは異なる、"教え導く人"としての監督

どんなスポーツでも、

監督=指揮者 (将棋・チェスの棋士)

選手=駒 (歩・金将・飛車etc)

のように例えられます。

 

その選手たちに対する監督のコメントには時には辛辣なモノもあります。 

どこか選手を突き放したような、他人行儀な発言に、違和感ありませんか?

 

私は、たとえその言葉に何か意図を持ったうえでの発言であろうとも、

"敬意"を感じられない点で違和感を覚えるのです。

 

 

対して栗山監督は、情の込もった発言を発します。

選手とは決してベッタリした関係にはならず、距離感は保つ事をわきまえている。

しかし、決して選手を見捨てない…。

 

「何か、この選手の可能性を引き出せないか?」と常に模索する…。

その姿と言葉はまさに"先生"です。

 

 

そんな、選手たちに対して真正面から向き合う姿勢は、彼の発言からも伺えます。

 "教えてもできないのは、選手のせいだという考え方がある。

だが、プロの門を叩くほどの選手は、誰もが優れた才能や素質の持ち主であるはずだ。それでも教えたことができないのは、できるように訓練させていないから、そう考える。

 

では、どうしたらできるようになるのか、

その持って行き方を教えてあげるのが指導者の仕事なのではないか。(中略)

 

あとは、とことん続けてみるだけだ。"

 「伝える。ーKKベストセラーズー」より

  

栗山監督は「チームは小学校みたいなもの」と述べます。

選手の芽が伸びるまで我慢し、見守ることが肝心だと述べており、「指導者の役割とは?」を自覚しているのです。

そうした考えのもと、選手たちの才能が花開いたのでした。

 

 

万物から知見を得る、その姿。

住まう「栗の樹ファーム」のグラウンド・畑を手入れしながら_

シーズンオフに、たくさんの読書を通じて_

時流を、天命を感じて_

 

彼はたくさんの物事から、考えを巡らせ、深めていきます。

 

ここまで来て、自分たちで決めなさいと (同率首位の福岡ソフトバンクとの2チームを) 横に並べたんじゃないか。

 

「あなた方は何ができるんですか」と聞かれている気がする。

-2016年 9月20日、首位決戦を控えてのコメント-

 【解説】

_記憶に新しい昨年2016年、強豪球団ソフトバンクと、首位決戦を控えてのコメント。

運営母体であるソフトバンクはご存知の通り日本発IT企業の覇者であり、豊富な資金力を背景とした充実した施設・強打者を揃えられる球団だ。事実、2007~2016年の10年間のうちに4度も優勝・日本一になっている。まさに「恵まれた球団」だ。

対して北海道日本ハム「球場移転問題」もあり、資金の使い道に限りがある。毎年それで悩み、泣く泣く育てた選手を放出し続けてきた。

前年度の2015年にはソフトバンクにこれでもかと力の差を見せつけられ、12.5ゲーム差の独走を許す屈辱を味わった。

しかし、それでも2016年には肩を並べる位置まで来た。あとは自分たちはなにを考え、その決断をどう試合で出すか。まさに栗山監督の明鏡止水の心情を、言葉となって出たのだと実感する。

 

 

熱すぎるくらいの、選手への情熱。

そうして得た知見は、選手たちへの思い・願いとして昇華されます。

栗山政権で花開いた選手は多岐にわたり、言葉からも選手への情熱が垣間見えます。

 

 「なぜ1年目から(中田)翔を4番に置いたのか。みんな、やっと分かってくれたかなと。オレは、あの活躍を待っているわけだから。

 

 翔には1人でチームを勝たせられる能力がある。

 

 これは特別な能力。オレはアイツの能力に心中してきたわけだから。

オレからすると『これが普通の中田翔でしょ』と。そんなにすごいと思わない」

 

【解説】_不動の4番を務める中田翔選手が国際大会[プレミア12]で活躍する姿を見て。

監督に就任した2012年当時、入団5年目の中田を4番に固定することを表明。不振で20数打席ヒットが出なくても先発出場・4番から外す事は無かった。「ウチの4番は翔」「オレは翔を信じてる」

その後、不動の4番として初タイトル(打点王ベストナインetc)を獲得し、日本代表にも選出。年末のバラエティ番組にも出演するほどのスターダムに駆け上がった。

かつて「入団当初はプロ野球を舐めていた」と語り、今ではチームリーダーとして立ち振るまう、彼の姿を見れば、栗山監督の飛び抜けた我慢強さ・粘り強さが伺えるだろう)

 

 

「ここ(1軍)に置いておく方が、遥輝のことを愛していない」

 

【解説】_(2015年、シーズン終盤まで不振を脱しきれない主力・西川遥輝選手を二軍に落とすことを決めた際に感じた思い。

このとき西川には2年連続「盗塁王」のタイトル獲得がかかっており、「タイトルの栄誉を奪ってしまう」ことと、「西川の成長」を天秤に掛けざるを得ず、考え尽くした末の決断だった。

西川自身も栗山監督に言い出すことができず、それでも好転させようと暗中模索していた。日本代表にもなれる力を持っているだけに、どれだけ悩み抜いたのだろうか…

 

その西川は今年(2016年9月4日時点)打率.300を超える、不動の主力選手へと登りつつある。)


 

「君の(メジャーの試合の)ビデオを見たよ。日本の野球に慣れるには時間がかかるだろうけど、必ずや結果を残すだけの実力はある。

 

将来メジャーに戻りたいのならその意思を尊重する 。

その為にも日本での1年間は無駄にしないことだ。

 

結果が出るまで俺は使い続けるぞ。日本へようこそ!」

 

 

【解説】

2015年はじめ、ブランドン・レアード選手が入団した際に贈ったコメント。

今では「寿司ボーイ」と言われ、ホームランを打つと寿司を握るしぐさが人気を博し北海道では看板選手だ。当時は中距離打者・堅牢な三塁手として獲得したものの予想外。「本塁打か?三振か?」というくらいに極端な選手に見えた。

そんなレアードの1年目、2015年。前半戦は打率 .186と順応できなかった。12本の本塁打を放っていたものの、5月に入ってからは全く打てる雰囲気を感じなかった。当時の私が見ても、とてもいい選手には見えなかった。

 

並の監督なら痺れを切らせて二軍行きを命じているはずだ。

 

しかし栗山監督は海外スカウトから聞いた「レアードは後半に必ず調子をあげて来る。起用し続けてください」との言葉を信じて、スターティングメンバーに名前を書き続けた。

その言葉通りに打棒は爆発した。後半戦は打率2割8分8厘・22本塁打・54打点を記録。

前半戦の不振からはとても考えられないような活躍ぶりを見せ、最終的に34本塁打を放つ活躍を見せたのだった

 

2年目のシーズンを迎えた2016年。春先から打ち続け、39HRを記録して本塁打王に輝いた。チームも4年ぶりの優勝を勝ち取った。

その優勝のメッセージでレアードはこう感謝の言葉を述べた。

「来日1年目。絶不調の私を信じて使い続けてくれたことは、生涯忘れません。言葉では表せないほどに、感謝しています」 


「今の自分があるのは、栗山監督のおかげです。今年もう一度監督を胴上げしたいので、絶対に日本一になります 」

 

2016年の日本シリーズでは3HRを放ち日本一を叶え、「シリーズMVP」を受賞した。

レアードほど義理堅いプレーヤーはいないだろうし、栗山監督ほど彼を信じた人もいないであろう。

 

 

 

「感情をむき出しにしていくのが好きなんだよね。

今日みたいに、見ていて楽しそうな(大谷)翔平が好きなんだよ」

 

【解説】_2016年6月5日、先発した大谷翔平選手の活躍する姿を見て。

大谷翔平は日本プロ野球界で、投手と打者の両ポジションで活躍するトップの選手だ。その姿は"二刀流"とも呼ばれる。

高校時代の大谷は「日本プロ野球には入らず、直接メジャーに挑戦したい」と発言。

日本球界に入ることはまずないと思われた中で栗山監督も交渉に加わり、直接交渉の末に入団させることに成功した。

 

「天下を取れ_」

栗山が大谷へ伝えたメッセージである。

2017年現在では日本ハムのエース・中心打者として君臨し、2016年のパ・リーグMVPを受賞した。

その成長を見届け、将来のメジャーリーガーへと歩む大谷への言葉は誰よりも厳しく、温かい。

 

 

ぼくは「栗山英樹」のような愛のあるリーダーになりたい

組織は、解散しない限り、生き続けます。そこには「人」という構成要素は欠くことはありません。その組織がどうなるかは全ては「人次第」。

 

結果も求められつつも、人を育て、導くための存在にリーダーはならなければならない…。リーダーとして在るべき姿の一つを、栗山監督は僕たちに示してくれているのだと感じるのです。

 

これからも、彼やその他の野球人の発言録・考えから普遍的に扱えるモノを取り上げていきますので、購読していただけると幸いです。

 

したっけ、また次号に続きます。

 

続きはこちら。

www.shingokataoka.com 

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 【追記】栗山監督の著書も、参考にどうぞ。

①未徹在 

 

 絶対的エース・ダルビッシュ有投手を欠いた中で成し遂げた2012年の優勝。

 一転して中心選手の移籍に主力の怪我…再建期となった2013年。

 難攻不落のソフトバンクへの下克上に臨んだ2014年。

 2年の再建期をへて、若手の躍進を感じた2015年…。

 

4年間の記録と、どのように選手と距離感を保って"中間管理職"として振る舞うか…?

栗山監督にとっての"監督の流儀"とは?

 

 さらにチームの柱・田中賢介陽岱鋼吉川光夫中田翔大谷翔平だけでなく、2015年一気に中心選手へと駆け上がった中島卓也、近藤健介ら若手選手、開花した助っ人・レアードも取り上げ、"個人"にクローズアップした一冊。

 

 そして栗山監督を支える"世界一"のコーチ達、「裏方」と呼ばれる、すごいスタッフの方々…。監督が見る、「北海道日本ハムの凄さとは何か?」が伺える良本です。

 

 ②謙虚なリーダーが組織を強くする (児玉光雄) 

  スポーツ心理学の第一人者による栗山監督評。栗山監督の言動から、客観的に人物像を分析し、これからのリーダー像を示している一冊。

 私もこれを読んでみて、栗山監督は「ピラミッドの最上位から指揮する"ボス"よりも、選手と共に歩みつつ導く存在の"リーダー"に近いな」と思いました。

 

「体制を維持する」のがマネージャーの役割なら、「体制を変化させて、革命を起こす」のがリーダーの役割。

 マネージャーは保守的という言葉が似合うが、リーダーは革命的でなければならない。  

ーP112 4章  メンバーを信じると自ら考え動き始めるー より引用

 

③伝える -言葉より強い武器はない- 

伝える。

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 日本ハム監督に就任して一年が過ぎた頃。

 当時、新人監督だった栗山監督がどう考え、どう選手たちに言葉をかけてきたか…。戦い続けた一年間の記録。

 彼がどんな本や人との出会い「指導者・栗山英樹」となったか…。この中に出てくる本も名著ぞろいです。

 

④「最高のチーム」の作り方

こちらは今年2016年の新著。

チーム作りの実践編・集大成として読み進められます。

 

この2016年のシーズンから栗山監督は、

「自分の意見を"譲れない"と感じたら一歩も譲歩しない」と決心しました。

優勝のためなら、可能性が1パーセントでもある限り考え抜くように…。

 

そうして成し遂げた優勝・日本一。たどり着くまでには、選手の不調や故障をはねのけるアイデア・マネジメントがありました。

・守護神・増井浩俊投手の先発転向 →先発8試合で7勝。

・DH(指名打者)を使わず、大谷翔平を起用 →打率.322 本塁打22本 の自己ベストを記録。投手として10勝 を記録しMVPに。

谷元圭介宮西尚生の両投手を日替わりクローザーとして起用 →守護神不在の9月を乗り切り、優勝・日本一。

を、見事に成功させた栗山監督。

 

 2012年衝突したとされる、吉井理人投手コーチ*6とのやりとり、関わりがどのように変化したかにも注目。

 

⑤栗山魂

自叙伝の完全版が2017年3月に出版。

プロ野球選手としての基礎を築いた小学〜大学時代、選手時代のエピソードを中心に記載されています。

 

なお、キャスター時代・栗の木ファーム開拓期(1991~2004) は大きく省略されているので、⑥栗の樹ファーム物語―栗山英樹、野球場をつくる」も参照いただきたい。

 

 

新時代のリーダーを示すのは、野球から。

 

 さて、ここまで栗山英樹監督の略歴・語録集・書籍…から彼の人となりを書き記してきました。

 

現役選手時代の、400本塁打2000本安打、日本一5回達成、最多勝4回、沢村賞受賞…

そんな実績を引っ提げて監督となった数多の人々と比べて、栗山監督の実績は非常に遠く、無縁だったことがよく分かると思います。

不幸にも、病によって僅か7年の現役生活だったのですから。

 

しかし、客観的に日本国内の高校野球プロ野球のみならず、アメリカ・メジャーリーグといった野球/Baseballを目の当たりにしてきた経験があります。

 

栗山監督の強さは、野球界でどんな人々にも引けを取ることのない「知性/Intelligence」に裏付けされています。

  

これから、平均レベルの上がった野球の世界では、「上から目線の、強者の論理」のみを有するリーダー・組織は没落していくでしょう。

 

栗山監督のもとで、どんな組織マネジメントが生まれていくのか?

未来のリーダーのあり方とは?

身をもって示す、栗山英樹監督に学んで行こう!

 

そんなことを願いながら、日本ハムを応援してくださると幸いであります_。(了) 

 

 

 

 

 

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*1:ざっくり言うと「うまく打てたのは何パーセント?」という基準。3割(10回中、3回うまく打てた)を記録することがいい選手の基準の一つ

*2:守備の上手な選手に対して与えられる賞

*3:本来、コーチ経験者や球団関係者に要請が来るため「異例」と言われた

*4:6球団のリーグ戦で上位3チームに入ること

*5:克也、日本プロ野球史で最大の捕手。南海→ヤクルト→阪神楽天と、弱小と呼ばれたチームの礎を創った名監督

*6:2012年冬に退団後、解説者・筑波大大学院在籍・福岡ソフトバンクホークス投手コーチを経て、2016年に復帰した