片岡、100年越しの故郷へ。

Return to My roots, from Hokkaido.

【北海道】北海道の成り立ち〜本州からこんなふうに移住したよ〜


スポンサーリンク

f:id:shinK:20160426154540j:plain

 

 

お題「地元の歴史」

 

観光地として、食の王国として知られる北海道。

皆さんは、いまの北海道ができた理由をご存知でしょうか。

そのルーツを辿るべく、書き記すこのシリーズ。

みなさんを、ルーツ辿りの旅へと誘いましょう…

 

 

 

 

 

 

 

なぜやるか?

もしかしたら何気なく、「◯◯生まれだ〜」と自覚しているのではないでしょうか。

僕も漠然と「北海道生まれですよ〜」としか言えなかったので、移住してくる前の世代の人々とかけ離れている感じを持っていて違和感を感じていました。

ルーツを辿ってみることで、「昔の世代と今が、こんな感じに繋がっていたんだ」ということを知り、繋がりを作ろうというのがざっとした理由です。(随時、加筆していきます^^)

 

半分自分の趣味みたいなシリーズですが、皆さんの知識として北海道を知るキッカケの一つにできると幸いです。

 

それでは、どうぞ!

 

明治時代に移住者が増えた理由??

ざっと言うと、「元々、アイヌの人々やら(松前藩を中心とした)和人が北海道にいて、そこに屯田兵と呼ばれた人々が移住した…」みたいな感じだと思います。

引用を挟みながら「移住者を増やす必要性→どう移住者を増やしたか」について書き記します。

 

1.【外政問題】(当時の)帝政ロシアの南下政策が迫っていた、国防上の問題

⇒北辺の防衛の必要性、北海道がロシアに取られてしまうと条約や貿易といった外交に大きく影響してしまう(最悪、イギリスに一部征服された中国・清のように?という懸念)

 

2.【人口問題】内地(本州~九州)の人口の増加

…内地の農地が狭くなり、農村の貧困化問題(→そのため、開拓余地の大きな北海道の広い土地は魅力的だった)

 

 

3.【経済】石炭を中心とした鉱産資源が豊富だった

 …経済発展のために活用。後の重工業分野で著しい成長のきっかけに

 

4.【内政】「士族授産」政策…「明治維新」にもとづく廃藩置県で藩制も士農工商(職分制度)もなくなり、士族階級の生計の糧がなくなった。明治政府は救済策として、生活基盤を与えるべく"北海道移住"を奨励した。

 

以上の必要性から、内地から北海道への移住を推し進め、開発を進めなければならないという気運が高まったのです。

 

そうして、下記の方法にもとづいて内地からの移住者が激増したのです。

 

①「官募移民」: 明治2~5年ごろ、開拓使が本州で募集した移民。

 

②「士族団体移住」明治2~5年ごろ(官募移民に少し遅れて)

: 生計の糧を失った士族がまとまって移住。

 ・伊達一門(伊達藩とその支藩)…室蘭、幌別当別etc…

 ・佐賀藩(厚岸・釧路郡)

 ・徳島藩静内郡)              etc…

屯田兵」制度(~明治32)開拓北辺の防備にあたる組織、半農半兵

 士族→明治23年頃から平民主体に。

 

◯◯社、〜〜団といった会社、結社団体

 ・北光社 (高知→北見・浦臼、坂本家5代目 坂本直寛が参画)

 ・北越殖民社 (新潟県長岡→江別・野幌)

 ・十津川団体 (奈良県十津川村新十津川町)  etc…

 

 以上参照:「高知県民の北海道開拓-北見・北光社を中心に-」白井 暢明

 

これをさきがけに、まずは雑多ながら記していきます。

 

_歴史探訪は、続く…。